ウズベキスタン(タシケント:ウズベキスタンホテル)
8:00にサマルカンドを出発してから約5時間半、13:25にタシケントのウズベキスタン・ホテルに到着しました。
ホテルのロビーでは、写真のお人形が迎えてくれました。
“中央アジアの首都”タシケントは、200万以上の人口を抱える大都会です。
中央アジアで唯一の地下鉄が走り、真っすぐ延びる道路にやたらと大きいビルが連なる、およそシルクロードの印象からはかけ離れた近代都市です。
オアシス都市としての歴史は長く、2000年前には「チャチ」という名で記録に現われています。
11世紀頃から「タシケント(石の町)」という名で呼ばれるようになりました。
シルクロードの中継点として最も栄えたのがこの頃でした。
モンゴル軍に破壊された後、ティムール帝国、シャイバニ朝時代になって町は復興します。
1809年にコーカンド・ハーン国の支配下に入った頃には、全長25kmの城壁に囲まれた人口10万の都市に成長していました。
しかし1865年に始まった帝政ロシアによる支配が、町の様相を一変させることになりました。
ロシア人の入植が続き、土塀が続く旧市街は、瞬く間に整然と区画された町並みに変わっていきました。
現在のアンホール運河を境に、東にはロシア人の町ができあがり、西のウズベク地域とは分割統治されました。
その境界も、1966年4月26日に町を真下から襲った大地震で、一挙に消え去ってしまいました。
ソ連各地から3万人以上の“革命的労働者”が投入され、わずか数年で町はまったく新しい近代都市に生まれ変わりました。
中心街を歩いている限り、現在のタシケントにシルクロードの風情を感じることはありません。
威圧的な警官に姿がやたらに目立ち、ソ連の匂いもいまだ強く残っています。
それでもタシケントは、現代中央アジアの交通の要衝です。
シルクロードを旅する際に、きっと避けては通れない町でしょう。
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 6つの空港で税関検査場電子申告ゲートを利用できます。(2020.07.29)
- 快適な空の旅に“食事”も重要! 「機内食」世界一はどこ?(2016.05.09)
- 台北のある意味美味しい写真 from Mariさん(2014.06.22)
- 台北のおいしい写真 from Mariさん(2014.06.09)
「ウズベキスタン」カテゴリの記事
- ウズベキスタン(まとめ)(2007.06.09)
- ウズベキスタン(帰国)(2007.06.07)
- ウズベキスタン(タシケント:中華料理の夕食)(2007.06.06)
- ウズベキスタン(タシケント:ティムール広場)(2007.06.06)
- ウズベキスタン(タシケント:民族友好広場・地下鉄乗車)(2007.06.06)
Comments