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May 2007

May 31, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:一般家庭訪問)

サマルカンドでの最後の観光が終わりました。グリ・アミール廟からホテル(アフラシャブ・パレス)までは直線距離にして300m位のようですが、バスでの移動は10分弱かかり16:40に戻りました。

夕食は19:00ロビー集合、昨日と同じホテル内レストランでいただきます。夕食まで少し時間があります。

実は、日暮里の“ザクロ”で出会ったサマルカンド出身の青年の実家がこのホテルの近くだということだったので、ご家族にお会いできれば・一緒に写した写真を渡せれば‥と思い、昨晩電話をしてみました。といっても私は言葉がわからないのでホテル内のおみやげ屋のオーナー(ウズベク人)にかけていただきました。あいにく呼出音はするものの応答はありませんでした。お兄さんの携帯にもかけてみましたがこちらもつながらず‥。
明日はもうサマルカンドを離れてしまうので今夜しかありません。夕食後にもう一度かけていただいたら、なんと通じました。彼のお母さんがでたそうです。オーナーが手短に状況を説明してくれたら、ご両親がこれからホテルまで来てくれることになりました。

20:20ご両親が到着しました。日本で撮った写真や持ってきたお土産を渡して少し話をしました。と言っても私たちはウズベク語もロシア語もできないので『ナルさん』という別のツアーのガイドさんが通訳をしてくれました。
おみやげ屋のオーナーがてっきり私達はナルさんのお客さんだと思い、ナルさんと知り合いだったオーナーはナルさんを呼んでくれていたそうです。
そのうちにご両親から、「これから私たちの家にお茶を飲みに来ませんか?ウズベキスタンの一般家庭を見てみませんか?」と誘っていただきました。
ナルさんも一緒に行ってくれるというので、お言葉に甘えることにしました。

2006_0928_013401aaお父さんの運転する車にナルさんと私の知り合い2名が乗せてもらい、私はお母さんとタクシーに乗っていきました。(まさか、ウズベキスタンでタクシーに乗るとは‥これもいい経験でした)
10分位で着いたと思います。外からでも大きなお家だと思いました。この写真を見てもわかると思いますが、夕食は済ませていますと言ってもこんなにたくさんの食べ物をだしてくださいました。


2006_0928_015344aa2006_0928_015522aa2006_0928_020045aa立派なお宅です。ナルさんが聞いたところによると、お父さんは百貨店のオーナーだそうです。以前このお宅には日本人がホームステイしていたこともあるとのことでした。
また彼らの長男(日本に来ているのは次男)ももうすぐ日本に行く予定で、今朝ビザの申請をしてきたところだということでした。
約1時間でしたがウズベキスタンという遠い国で、一般家庭を訪問することができたなんて本当にいい経験でした。

帰りはお父さんの車でホテルまで送っていただきました。22:10ホテルに戻りましたが、興奮冷めやらぬ感じでなかなか眠れませんでした。


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May 30, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:グリ・アミール廟)

2006_0927_203844aaレギスタン広場を16:00に出発、“グリ・アミール廟”へやってきました。バスで約5分です。

グリ・アミールとは、タジク語で“支配者の墓”という意味です。ティムールはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟です。
青の都と呼ばれるサマルカンドでも、ひときわその青さが引き立っている壮大な建造物ではないでしょうか。
もともとこの場所には、彼の孫ムハンマド・スルタンが建てたメドレセとハナカがありました(中庭に基礎のみ残っています)。しかし1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまい、ティムールは彼を偲んで隣に廟を建設しました。
廟は1404年に完成しましたが、1年後、中国遠征の途上で急死したティムール自身もここに葬られることになりました。彼はかねてから生地のシャフリサーブスに葬られることを希望し、廟も造っていました。また死ぬ間際には「名を刻んだ石だけを墓標とするように」と遺言しましたが、権力者の悲しさか希望は両方とも実りませんでした。

2006_0927_203012aa2006_0927_202428aa2006_0927_202416aa廟内部は1996年に修復が終了し、建設当時の美しさを取り戻しています。内部を覆う文様には金3kgが使用されたと言います。
ティムールの墓は金黒緑色の軟玉で造られ、中央に置かれています。その北側にティムールの教師ミルサイード・ベリケと孫の一人、東側にムハンマド・スルタン、南側にウルグベク、西側に近いほうから息子のシャールフ、孫のひとり、息子のミランシャーの墓石が並んでいます。これらはみな墓の位置を印した墓石で、亡骸はこの地下3mのところにある墓室に同じ順序で葬られています。

1941年6月、ソ連の学術組織によってティムールらの墓が開けられ、ティムールの足が不自由だったこと、ウルグベクが断酒されて死んだ事などが証明されました。

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ウズベキスタン(サマルカンド:ウルグベク・メドレセ)

2006_0927_195719aaレギスタン広場の西側に1420年に建てられた神学校です。広場では最も古い建物です。

ウルグベクは自身が天文学者であったように、学芸を振興し、自らも教壇に立ったと言われています。当時ここには100名以上の学生が寄宿し、イスラーム神学をはじめ、数学や哲学などを学んでいました。中庭を囲む2階建てのフジュラに学生たちが住み、四隅はドーム天井の講義室となっていました。

35mの高さがある入口アーチには、建造者ウルグベク嗜好を反映して、青い星をモチーフにしたタイル模様が描かれています。まるでCGを先取りしたかのような、精巧なできばえに驚かされます。

アーチの両側のミナレットは、“空を支える”ためにあり、面白いことに北側のミナレットが少し傾いているのは、その重さのせいだと言われています。

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May 29, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:ティラカリ・メドレセ)

2006_0927_193823aa2006_0927_193846aa2006_0927_193908aa2006_0927_194255aa『ティラカリ・メドレセ』です。1660年に建てられた神学校です。広場から見て正面にあたるこのメドレセはほかの二つのメドレセとはかなり異なった外観で広場の安定した調和にひと役かっています。

中庭に入って左側、青のドームの下に礼拝所があり、その荘厳さから“ティラカリ(金箔された)”という名が採られています。当時すでにビビハニム・モスクが廃墟となっていたため、サマルカンドの主要礼拝所としても使われました。

修復に3Kgの金が使われたという礼拝所は、まさに息を飲む美しさです。ミフラブ(メッカの方向を示す壁面のくぼみ)と壁面は星と植物、アラビア文字をモチーフにした鮮やかな模様で飾られ、まばゆく輝いています。その技巧も素晴らしく、例えばドーム型に丸みを帯びて見える天井は実は平面で、細かい遠近法で描かれた結果です。

左:礼拝所の天井。実際にはもっと金色に輝いています。そして天井も丸く見えるので不思議です。写真だと上手くお伝えできないのが残念です。
真ん中の2枚:ミフラーブ(左)とミンバル(説教壇)(右)
右:中庭からみた礼拝所

2006_0927_194312aa2006_0927_193738aaメドレセの中庭です。木があって、花壇もあって、木陰にはベンチもあって市民の憩いの場になっているようです。

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May 28, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:シェルドル・メドレセ)

2006_0927_194510aa2006_0927_185326aa『シェルドル・メドレセ』です。右は入口のアーチのアップ、ずっと見たかったんです。

かつてハナカがあった場所に建てられた神学校です。17年の歳月をかけて、1636年に完成しました。広場を挟んで向かいにあるウルグベク・メドレセを模倣して造られたと言われています。

このシェルドルとは、“ライオンが描かれた”という意味で、入口アーチに小鹿を追うライオン(虎に見えますが)が人面を帯びた日輪を背に描かれています。

本来イスラームの文様は、その教義に基づいて偶像崇拝を否定する立場をとり、人や動物の姿をモチーフにすることはタブーとされています。あえて禁が破られ、このようなデザインが描かれたのは、支配者が自分の権力を誇示しようとしたためのようです。しかし、その代償に建築家が責任を取って自殺したという伝説も残っています。

2006_0927_185619aa2006_0927_190052aa2006_0927_192136aa入口から入ると中庭を囲むように小部屋があります。以前はこれらのひとつひとつが、教室であり宿舎であったようです。
真ん中の写真は、民族楽器を演奏する“バブールさん”です。私たちが訪問した約1ヶ月前(2006年8月下旬)小泉総理もバブールさんの元を訪れたようでその時の写真がありました。
右の写真は、当時の神学校の先生の様子を再現したお人形です。

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ウズベキスタン(サマルカンド:レギスタン広場)

2006_0927_182951aa_2レストランより約15分、14:15に『レギスタン広場』に到着しました。
レギスタン広場は、サマルカンドの旧市街の中心にあります。

広場から向かって正面は“ティラカリ・メドレセ”、右は“シェルドル・メドレセ”、左は“ウルグベク・メドレセ”です。

レギスタンとは“砂地”の意味です。チンギス・ハーンの来襲以後、アフラシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心地となりました。公共の広場としての機能も果たし、謁見式や閲兵、罪人の処刑なども行われました。

ティムールの時代になると大きな屋根つきのバザールが造られ、孫のウルグベクの時代に最初のメドレセが建てられました。
当時は広場の西側にハナカ(イスラーム神秘主義教団の修行場)があり、北にはキャラバンサライ、南にはやはり荘厳なモスクがあったようです。広場が現在の外観を得たのは、後のシャイバニ朝の支配者、ヤラングトシュ・バハドールによって更にふたつのメドレセが建てられて以来のことです。

ソ連時代に修復が行われ、時代とともに堆積した土が2m以上も取り除かれたということです。

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May 27, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:昼食)

2006_0927_172001aaシャブ・バザールからバスで15分、13:05昼食のためのレストランに到着しました。
この写真は、レストランの入口にぶら下がていた“魚”です。
ウズベキスタンに来てから魚を見たのは初めてだった(と思う)ので、こんな内陸でも魚をたべるんだ‥と思ったことを覚えています。
聞いてみたところこのお魚は『サザン』という名前の川魚で鯉の一種だそうです。                                                                  


2006_0927_172029aa2006_0927_172100aaショーウィンドウ?です。
ケバブと一口に言ってもお肉の種類もいろいろです。
牛・豚・鶏・羊‥。確かウズベキスタンでは牛肉が一番安いと聞きました。
私たちのお昼にでてくるのはどれでしょう?                                         

                                                     
2006_0927_173640aa2006_0927_175453aa今日のランチは、ボルシチと豚肉のケバブです。
想像していたものと違うボルシチでした。
キャベツ・じゃがいも・ビーツ・サワークリームが入っているので確かにボルシチですが‥。
豚肉のケバブはおいしかったです。この旅行で食べたものの中で一番だったと思います。
ウズベクの人々は、イスラム教徒が多いので豚肉のケバブは食べないのでしょうが、このケバブは塩コショウで味付けがしてあり美味しくいただきました。


14:05昼食を終えて、サマルカンド観光のハイライト『レギスタン広場』へ向かいます。

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ウズベキスタン(サマルカンド:シャブ・バザール)

2006_0927_170431aaビビハニム・モスクを30分見学した後、お隣にある“シャブ・バザール”へ徒歩で移動しました。
時刻は12:20、30分ほどバザールの中を自由行動になりました。
ブハラで訪れた3つのバザールとは違い、このシャブ・バザールは食品が多く売っているようでした。
野菜・果物・ドライフルーツ・スパイス等、生活感のあるバザールです。


2006_0927_165937aa2006_0927_164836aa2006_0927_170235aaバザールではこんなものが売っていました。
左の写真のお姉さん、きれいな女性だったので思わずカメラを向けてしまいました。売っている野菜も美味しそうです。
真ん中のおばさんが手にしているのは見た目は苦瓜のようでした。野菜だということはわかったのですが名前は‥。その右側にはミニかぼちゃのようなものがあります。
右はドライフルーツです。アプリコット・レーズン・ナッツなど‥。

2006_0927_170036aa2006_0927_165854aa_1変わった野菜を見つけました。(写真左)
右の写真は、“お惣菜”を売っているお店のようです。
毎回の食事に必ずといっていいほどでてくる“にんじんのサラダ”など、バザールで買うこともできるのですね。

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ウズベキスタン(サマルカンド:ビビハニム・モスク②)

2006_0927_161928aa2006_0927_161732aa【ビビハニム・モスクの言い伝え】

ティムールのインド遠征の凱旋にこたえて、妃ビビハニムはその功績に勝るとも劣らないモスクを贈ることにしました。
当代の著名な建築家を集め、建設は進められました。
しかしティムールの凱旋前に完成させることは難しく、妃は工事を急がせました。

そんなある日、密かに妃に恋焦がれていた建築家がとうとう押さえきれず、妃にたった一度の接吻を求めました。
「これ以上働けません。どうか私の悩みを解きほぐしてください」と乞いました。
妃の心は大きく揺らぎました。
ティムールを愛しているとはいえ、当代随一の美男建築家からの求愛でした。

妃は幾つかの卵に色をつけて、色は違うがどれも同じ味だ。夫の後宮にいるどの女性でも捧げるからあきらめてほしいと説得しました。
しかし建築家はふたつのコップを持ってきて、どちらも同じ色をしているが、一方には冷水が、またもう一方には心を惑わす酒が入っているのだとやり返しました。

妃は折れ、頬は建築家のもとに。そしてそのキスの跡があざになってしまいました。
こうしてモスクは完成しました。
サマルカンドに戻ったティムールは、このモスクのできばえに驚き、寵妃ビビハニムに一刻も早くお礼を述べようとしました。

ところが妃に会ってみると、頬にはキスの跡があるではありませんか。
忌まわしい事実のあったことを知った彼の復讐は恐ろしいものでした。
建築家は死刑、妃は彼への贈り物のミナレットより投げ捨てられました。

別の言い伝えでは、建築家はこの世の仕業とは思えないほどの壮大なモスクを建てた神通力をもって、ペルシャの空へ飛んでいったといいます。
妃はティムールの命により黒いベールで覆わねばならなくなりました。
そしてその誘惑的な容貌は二度と人々の目に触れなくなりました。

(左:ミナレット、右:ミフラブ)

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ウズベキスタン(サマルカンド:ビビハニム・モスク①)

2006_0927_160207aa2006_0927_161644aa2006_0927_161954aa2006_0927_162114aa続いて向かったのは「ビビハニム・モスク」、バスで約10分で着きました。

かつてイスラーム世界で最大の規模を誇ったモスクの跡です。
サッカー場がすっぽり入ってしまうほどの敷地に大モスクとふたつの小モスクが並び、入口にはやはり巨大なアーチが建てられています。
大モスクは祭事用、小モスクは金曜の礼拝用と毎日の礼拝用だそうです。

このモスクにもさまざまな伝説に彩られ、また宿命的ともいえるような結末を迎えています。
1399年、インド遠征から帰ったティムールは世界に比べるものがない壮大なモスクを造る決意をしました。建設には帝国各地から集められた200人の職人と500人以上の労働者、そして95頭の象が従事し、ティムール自身が毎日現場に出向き、指示をする熱の入れようでした。その様子を見ていたスペイン公使によると、ティムールは籠の上から肉や貨幣を建設現場に投げ入れ、工事の進行を盛んにせかしていたといいます。その結果、モスクはティムールの死の1年前、1404年に異例の速さで完成しました。
しかし落成後間もないある日、礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきました。落下は続き、それを恐れて礼拝を行う者もいなくなりました。以後崩壊が徐々に進んで廃墟となり、更にたび重なる地震で姿を留めないまでに崩れてしまいました。
崩壊の原因は建設を急ぎすぎたこと、そしてあまりにも巨大すぎたその構造にあったといいます。それはまるで、その後のティムール帝国自身の運命を暗示するかのようでした。

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May 26, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:イスラム墓地)

2006_0927_153357aa2006_0927_153407aa2006_0927_154726aaシャーヒズィンダ廟群のまわりには墓地がありました。

廟群の中にいた時にどこかの廟の裏側にまわったら階段があったので何があるのかと上ってみたら墓地でした。
右の2枚はそこで撮りました。墓石に亡くなったかたのお顔が記されていて(書いてあるのか彫ってあるのかわかりませんが)日本の墓地より明るい感じがしました。

もう1枚は、シャーヒズィンダ廟群を出てから撮りました。
廟群は小高い丘にあってそのまわりが墓地になっているようでした。

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ウズベキスタン(サマルカンド:シャーヒズィンダ廟群②)

2006_0927_151052aa2006_0927_153559aa2006_0927_153245aa廟はこの写真のように建ち並んでいます。
天気がよいので青い空に青いタイルが本当にきれいです。
“天国への階段”を登っていくと、次々と廟が現われてきます。
ガイドブック(地球の歩き方)には、おもな廟として11の廟が紹介されています。

ひとつひとつの廟は、想像より大きいです。
右の写真を見ていただけばおわかりになるかと思いますが、かなり高さがあります。


2006_0927_151901aa2006_0927_152056aa2006_0927_152217aa2006_0927_152332aa『クサム・イブン・アッバース廟』です。(預言者ムハンマドの従兄)
モンゴル来襲の際もこの廟だけは破壊されずに残り、サマルカンドでも最も古い建造物となっています。
写真は左から廟の天井装飾(2枚)、礼拝所のミフラブ、ドアです。

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May 20, 2007

最近読んでいる本

最近読んでいる本は「三国志」です。と言ってもマンガ版なのですが‥

漫画といっても全30巻もあります。三国志を読んでみたくて、でもかなりの長編なので読む自信がなくて去年は【子ども版三国志】というのを読みました。子ども版でも10巻でしたが、これではかなり話がはし折られていて物足りなかったので今回は横山光輝さんのこの漫画版を読むことにしました。
ちょうど読み始めたらタイミングよく?千葉テレビでCCTV(中国中央電視台)のドラマ三国志も放映が始まりました。

まだ10巻を読んでいる途中なのですが、登場人物も魅力的でおもしろいです。
こんなに面白いものならもっと早くに読んでおけばよかったと思います。以前、中国四川省成都の武候祠に行った時、当時の私は三国志をよく知らなかったので特に感動もなく、同じツアーの方たちが熱心に見て聞いていたのをみてもそんなに面白いものなのかなあ‥くらいにしか思っていませんでした。

三国志の魅力にはまった今、いつか再び武候祠や三国志のゆかりの地へ行くことを夢見ています。

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お料理教室

2007_0520_122103aa2007_0520_121025aa今日から新しいクラス「おもてなし料理の会」が始まりました。

今月は、“気軽につくる中国料理~魚の中国酒蒸し・牛肉のXO醤炒め・ピータン豆腐・きゅうりの甘酢・マンゴープリン”でした。

先月までの基本料理の会より品数も多く実習はたいへんでしたが、やはりその分出来上がりもステキです。

魚の中国酒蒸しは今日はイサキを使いました。お酒には香つけと肉や魚などのたんぱく質をふっくらさせる効果があるそうです。お魚が大きかったのでとっても豪華な一品です。

マンゴープリンは想像していたものとちょっと違いましたが、おいしくできました。マンゴープリン好きな私も満足です。

次回は、“アジアンテイストでおもてなし”また楽しみです。

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May 09, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:シャーヒズィンダ廟群①)

2006_0927_154718aa2006_0927_154107aa2006_0927_153954aaアフラシャブの丘からバスで10分、10:45「シャーヒズィンダ廟群」に到着しました。

アフラシャブの丘の南麓にあるサマルカンドの随一の聖地です。ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ、“死者の通り”で、今でも巡礼に訪れる人々が絶えない場所です。その装飾の多様さ、美しさで、中央アジアでも指折りの名所と言われています。

”シャーヒズィンダ”とは“生ける王”という意味で、7世紀のアラブの侵略時に生まれた伝説がもとになっています。
それによると、布教のためサマルカンドにやってきた預言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッーバスは、ここで礼拝をしている最中に異教徒に襲われ、首をはねられてしまいました。ところが彼は動じることなく礼拝を終え、自分の首を抱えると深い井戸へと入っていきました。彼はそこで永遠の生命を得て、イスラムが危機に陥ったとき、救いに現われるのだといいます。

左の写真は、道路から写した廟群です。左端に写っているのが、ウルグベクが建てた入口の門です。
この門をくぐると階段があります。この階段「天国への階段」というそうです。
右の写真はその天国への階段の途中にある廟のところにいたイスラムの聖職者?です。

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ウズベキスタン(サマルカンド:アフラシャブの丘)

2006_0927_143427aa2006_0927_143310aaサマルカンド歴史博物館の裏から「アフラシャブの丘」へ上りました。

10haの広さのこの丘、現在では生命感のない土の塊となっていますが、モンゴルによって徹底的に破壊される以前、何世紀もの間、サマルカンドの町はこの丘の上に営々と築かれてきました。発掘調査の結果、文化の痕跡が11層もの厚さで積み重なっているのが確認されています。

アフラシャブの名は、伝説の最初のソグド王から採られたものです。当時の町は城壁で囲まれ、4つの大きな門がありました。これらの門を通じて、サマルカンドはシルクロードと結ばれていました。

東西の多くの旅行者や学者が記録を残していますが、当時のサマルカンドは、道が舗装され、水道が各家庭に延び、緑にあふれた「人間が見たなかで最も美しい眺めのひとつ」を作り出していたといいます。大きな鉛管で引かれる大量の水が、それを可能にしていたのでした。モンゴル来襲のあと町がうち捨てられた理由は、生命線であったこの給水システムを破壊されたことにあるようです。

この丘の上に立ってみても、かつてはここに町があったということが信じられません‥。

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May 08, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:サマルカンド歴史博物館)

2006_0927_142004aa2006_0927_142340aa2006_0927_142249aaウルグベク天文台跡を9:55に出発し、次の「サマルカンド歴史博物館」へ向かいました。バスで5分の距離です。

サマルカンド歴史博物館は、アフラシャブの丘の麓、タシケント通りぞいにあります。
アレクサンドロス大王時代のコインをはじめ、ゾロアスター教の祭壇や偶像など、丘からの出土品が数多く展示されています。


2006_0927_142716aa_22006_0927_142827aa2006_0927_142939aa2006_0927_142959aaこの博物館のなかでも最大の見ものはソグド人の壁画です。玉座の間を飾っていたこの壁画には、当時の華やかな貴族たちの姿が描かれています。
(この部屋は写真撮影はOKですがフラッシュ禁止です。)
壁画が展示されている部屋は、もともとのレイアウトが正確に再現されています。部屋を入って左側には、チャガン(タシケント付近)からの婚礼の行進が描かれています。白い象に乗った花嫁とラクダに乗ったふたりの公使が印象的です。また別の面には、冠を載せた朝鮮人や船に乗った中国の侯女たちも描かれています。いずれも当時の交易圏の広さを表す興味深いものです。

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May 01, 2007

CAFE NOVA

070501_144602070501_144801070501_150501何年か前に当時シンガポールに住んでいた従姉からいただいて、気に入ったインスタントコーヒーがありました。

現地のSUPER COFFEEMIXという会社の『CAFE NOVA』です。
手軽に飲めて美味しかったのでその後も従姉からいただいたり、私が訪星すると買ってきていました。従来からの砂糖の入っていないもの・シナモン味に加え、年末に従姉が帰国した際には新商品の“カフェラテ”が加わりました。
そして3月にYahooNewsで「日本でもカフェラテを販売開始、オリジナル以外に幾つかのフレーバーを日本向けに製造する、100円ショップで3月中に発売開始」というのを発見しました。
どの100円ショップで販売されるのかがわらなかったのですが、ダイソーで売っていました。4個で100円、きちんと箱入りでした。
フレーバーは、オリジナル・バニラ・ヘーゼルナッの3種類でした。

写真は、左がパッケージ、真ん中が箱の中の個包装、そして右はシンガポールで売っているものと日本のものです。

日本向けに製造されているものなので表示は日本語です。そして、現地のものには【Halal】のマークが付いていますがこちらのものにはありません。

Halal(ハラル)‥‥イスラムにおいて許された食べ物で、イスラム教徒はHaralの食品しか食べないそうです。ムスリムの多いシンガポールではいろいろな食品にHaralのマークが付いています。

手軽に飲めるので、忙しい時などでもちょっと休憩するのに便利です。

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