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April 2007

April 29, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:ウルグベク天文台跡)

2006_0927_133742aa2006_0927_135505aa2006_0927_134323aa9月27日(水)6日目です。今日は終日サマルカンドの観光になります。
7:00起床、9:00ホテルを出発しました。まず向かったのは、「ウルグベク天文台跡」バスで15分程で着きました。

アフラシャブの丘から北東に約1㎞、チュパン・アタという丘の上にあります。長い間、ウルグベク(1394~1449)がどこで観測をしていたのかは謎とされてきましたが、1908年にロシア人のアマチュア考古学者ヴィヤトキンによって土に埋もれた天文台の跡が発掘され、その存在が明らかとなりました。

現在は、円い天文台の基礎と六分儀の地下部分のみが残っています。かつてこの六分儀は、地下の11mと合わせて40mの高さがあり、弧長は63mという巨大なものでした。これを高さ30m以上の建物が取り囲み、現在の天文台を彷彿とさせる観測施設が造られていたわけです。
ここでの観測をもとに、彼は恒星時1年間を365日10分8秒としました。今日の精密機器で計られたそれは365日6時間9分9.6秒で誤差は1分にも満ちません。望遠鏡もない当時の技術でいかにしてこのような正確な数値をわりだしたのでしょう。また1018の星の軌跡を記録した彼の天文表は、後にコンスタンチノープルに逃れた弟子によって出版され、ウルグベクの名を広く世界に知らしめました。

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April 28, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド)

Photo_7いつからか“青の都サマルカンド”という言葉が頭の中を離れなくて、いつか行こうと思っていました。そのうちウズベキスタンのツアーパンフレットなどがよく目につくようになり、この写真のレギスタン広場に強い憧れを抱くようになりました。
そして、今回本当に来ることができました。

サマルカンドは、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできました。その存在が初めて世界に知らされたのは紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の遠征軍が到達した時のことだそうです。大王をして「話に聞いていた通りに美しい、いやそれ以上に美しい」と言わせしめたほど、サマルカンドの前身「サラカンダ」の町は発展を見せていました。
その繁栄の担い手はソグド人でした。商才と工芸技術に長けたソグド人は、さまざまな王朝の支配を受けながらも、数世紀にわたって営々とサマルカンドを築き上げてきました。
しかし1220年のモンゴル軍の攻撃で、町の人口の4分の3以上が殺されるという壊滅的な被害を受けました。アフラシャブの丘にあった町は破壊し尽され、無人の荒地と化しました。
そのサマルカンドをよみがえらせたのがティムールでした。「チンギス・ハーンは破壊しティムールは建設した」といわれるように、彼は帝国各地から連れ帰った職人や建築家たちを使い、サマルカンドをイスラーム世界に名だたる都市に復興しました。彼が手がけた壮大な建築群は、それから600年を経た現在も圧倒的な迫力で旅人の目を釘付けにしています。

この写真は、私の携帯電話のカメラで撮りました。(auW32SA)

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April 25, 2007

ウズベキスタン(サマルカンド:夕食)

2006_0926_232140aa2006_0926_232022aa2006_0926_232034aa2006_0926_232045aa夕食は、19:00にロビーに集合してホテル内のレストランでいただきました。

いつもと殆ど変化のないお料理が並んでいます。この頃になると少し飽きてきます。
ハム類・チーズ・パン・生野菜・果物・温かいお料理などなど‥。
野菜はホントに美味しかったのですが‥。トマトは毎食食べていました。

明日は、いよいよサマルカンドの観光です。今回の旅で一番行きたかったレギスタン広場にもとうとう!
夕食後、部屋に戻り、入浴、明日の準備などして23時頃におやすみなさい。

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ウズベキスタン(サマルカンド:アフラシャブ・パレス)

Fh0100302006_0926_223351aa今夜と明日の二晩は、ここサマルカンドの『アフラシャブ・パレス』に宿泊です。
私の部屋は、360室。ホテルは大きく部屋数も多そうでした。1階にビジネスセンターもありました。
中庭を囲むように部屋がありました。


2006_0926_223436aa2006_0926_223447aaバスルームは可動式のシャワー、バスタブ、アメニティはシンクに固形石鹸1つだけでした。シャンプー類・ヘアドライヤーなどありませんでした。

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April 23, 2007

ウズベキスタン(サマルカンドへ)

Fh0100262006_0926_211336aaFh01002715:20シャフリサーブスを出発しました。
サマルカンドまで約3時間半の道のりです。
2時間半ほど走った17:05、バスはサマルカンド州に入り休憩になりました。バスが停まると、子供たちが寄ってきました。手には小さなマットのようなものを持って「買って欲しい」と‥。

それから走ること約1時間、18:00にサマルカンドのホテルに着きました。

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April 15, 2007

お料理教室

2007_0415_114951aa「基本料理の会 洋風・中国風」12回目(4月)がありました。

今月の実習内容は、“グラタンの献立~アスパラガスとトマトのサラダ・チキングラタン・紅茶”でした。

チキングラタン‥“グラタン”とはフランス語で焼いた時にできる焦げのことで表面が焦げた料理の総称だそうです。
ホワイトソースが上手くできるか心配でしたが、先生がよく教えてくださったので思ったよりも簡単?にできました。
出来上がりも市販のグラタンやレストランで食べるグラタンよりもさっぱりしていたような気がします。お味ももちろん美味しく出来上がりました。

アスパラとトマトのサラダ‥フレンチドレッシングの作り方を教えていただきました。今日、教えていただいたのは“基本の配合”だそうですが、サラダ油をごま油にかえれば中華風に、オリーブオイルにかえればイタリアンになるとのことなのでぜひ試してみたいです。

先週の和風のクラスと同様に、この「基本料理の会 洋風・中国風」も今日で1年間のコースが終了しました。
始まる前は、長いかなと思っていたのですが終わってみればあっという間でとても楽しい1年間でした。
講師の先生もとっても優しくてステキなかたでした。ベターホームの先生は皆さん優しくてステキなのですが今までで一番だったと思います。
毎回の先生のお話は興味深くて、素材のこと・料理のいわれ・材料をかえての応用の仕方など充実したクラスでした。(お料理の腕前が上がったかどうかはちょっと疑問‥)

最後なので写真は先生が作ったものを載せます。

来月からは、「おもてなし料理の会」にすすみます。

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お料理教室

2007_0408_120214aa1週間経ってしまいましたが、先週の日曜日(4月8日)に「基本料理の会 和風」12回目(4月)がありました。先月はJ-SHINEの講座のためお休みしたので1ヶ月ぶりです。

今月の実習内容は、“白身魚の香味蒸し・きんとき豆の甘煮・炊き込みごはん・かきたま汁”でした。

白身魚の香味蒸し‥今回は鯛を使い、香味(ねぎとしょうが)で蒸し、ポン酢しょうゆでいただきました。
ポン酢とは、おしょうゆに柑橘の絞り汁をいれたものですが、オランダ語で柑橘の果汁を『ポンス』といっていたそうです。さっぱりと美味しくできました。

炊き込みごはん‥油揚げ・ごぼう・にんじん・しいたけ・とり肉を入れて炊き込みました。
お教室では文化鍋でごはんを炊いたことが何度かありましたが、いつも美味しく炊き上がります。今回もちょっとおこげもできて本当に美味しかったです。

かきたま汁‥先生の作ったかきたま汁を飲ませていただきましたが、私たちが作ったものよりも卵がふわっとしていて美味しかったです。

昨年5月から始めた「基本料理の会 和風」も今月で終了です。

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April 09, 2007

2007_0408_091921aa2007_0408_092011aa今年も近所の桜がきれいに咲きました。(2007.04.08撮影)

桜の季節はいつも仕事が忙しくてお花見など行けませんが、通勤の途中に眺めてプチお花見気分を味わいました。

お友達のあみさんは、先週末から神戸・京都へ行っています。
旅の途中、メールや電話で様子を知らせてくださいました。お天気もよく桜もきれいだったそうです。
あみさんからの報告で私も自分も一緒に行っているような気になりました。

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April 08, 2007

花まつり

Dscf3295今日4月8日は『花まつり』です。

花まつりとは、仏教を開いたお釈迦さまの誕生日である4月8日に行われる行事で、成道会(12月8日)・涅槃会(2月15日)とともに仏教三大行事のひとつです。

お釈迦様は紀元前5世紀頃、現ネパール領土に誕生されました。誕生した時、天人が香華を舞い散らせ、竜が清らかな水を降らせて産湯としたという故事に基づき、季節の花で飾った「花御堂(はなみどう)」に誕生仏を安置して、参拝者が甘茶を灌ぎます。
誕生仏は、右手は天を、左手は地を指した立像で、生誕直後四方に7歩ずつ歩み「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたとされています。この言葉は、「宇宙に存在する全てのものは、仏の命を具えた尊い存在である」という意味です。

この写真は、あるスーパーマーケットの店頭に飾られていた『花御堂』です。

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April 07, 2007

ウズベキスタン(シャフリサーブス:ドルッティロヴァット建築群)

2006_0926_185756aa2006_0926_191032aaドルッサオダット建築群より徒歩で移動しました。
“瞑想の家”と呼ばれる、ティムールゆかりの建築群。中庭に入ると、右側に青いドームのコク・グンバス・モスク、それに向き合ってふたつの廟が並んでいます。通りからも輝いて見えるこのモスクは、ウルグベクによって1436年に建てられました。内部はフレスコが修復されています。

2006_0926_190739aaモスクの中のミフラブです。
世界中のイスラム教徒はサウジアラビアのメッカにあるカーバ神殿に向かって礼拝します。
ミフラブとは、カーバ神殿の方向を示すくぼみのことだそうです。
今回の旅行中、いろいろなモスクを訪れその殆ど(たぶん全て)でミフラブを見ました。
                                                                                                                                                                                                                                      


2006_0926_190900aaふたつの廟のうち、右側奥にあるのがグンバズィ・サイーダン廟です。
ウルグベクが自分の子孫のために建てたもので、内部には4つの墓石が並んでいます。
左側のシャムスッディン・クラル廟には、ティムールの父とその指導者シャムスッディン・クラルが葬られています。
1374年にティムールによって建てられました。

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April 01, 2007

ウズベキスタン(シャフリサーブス:ドルッサオダット建築群)

2006_0926_183927aa2006_0926_184328aaアクサライ宮殿跡からバスで10分、ドルッサオダット建築群へ向かいました。

“ドルッサオダット”とは“大いなる力の座”という意味だそうです。
この2枚の写真は、町の老人たちの信仰を集める「ハズラティ・イマーム・モスク」です。
このモスクの中庭を通っていくと、ジャハンギール廟が見えてきます。
                                                                              
2006_0926_184355aa_12006_0926_184418aa「ジャハンギール廟」です。ティムールが22歳の若さで戦死した長男のために建てた巨大な廟で、今ではすっかり鳩のすみかとなってしまっています。廟の前の基礎だけが残る空き地が示すように、かつては巨大な建築群がここにありました。南側に墓石のみ残るティムールの次男、ウマル・シェイヒ廟もそのひとつです。また、ここはティムールの廟ともいわれる墓室も残っています。ティムールが自分のために用意したものですが、彼はサマルカンドに葬られました。

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ウズベキスタン(シャフリサーブス:アク・サライ宮殿跡)

2006_0926_175226aaFh010017バスは10分で「アク・サライ宮殿跡」に着きました。
1380年に着工され、ティムールの死後の1405年まで建設が続けられた、たぶん彼が残した最も壮大な建造物です。現在はアーチの残骸だけが残っています。
アク・サライのアクは“白い・お金”という意味があるので『白い宮殿』という意味の宮殿ですが、実際は青と金のタイルで装飾された宮殿でした。現在のアーチの高さは38m、壊れる前は50m以上の高さがあったそうです。

このアーチ左側(東)の円柱の中ほどには、アラビア文字で「スルタン(皇帝)はアラーの影である」という意味のことが書かれています。しかし右側の円柱には「スルタンは影である」としか書かれていないらしいのです。もちろん“スルタン”はティムールのことです。言い伝えによれば、建築家はこの誤りのためアーチの上から投げ落とされたといいます。

Fh010018Fh010019別料金(2000スム又はUS$2)を払ってアーチに登りました。シャフリサーブスの町が一望できます。
この入口アーチから南に大理石が敷き詰められた中庭が広がり、宮殿そのものは現在ティムール像が建つあたりにあったらしいということです。宮殿には80の部屋、屋上にはプールがあったとも伝えられています。

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